【河鍋暁斎(かわなべきょうさい)について】
1831年の幕末の時代に下総国(しもうさのくに)(現在の茨城県古河市)に生まれた浮世絵師、日本画家です。
暁斎が2歳の頃に家族と一緒に江戸に移り住み、7歳の頃には浮世絵師・歌川国芳に入門し、絵の基礎から技法を学びました。国芳は人を押さえつけたり、組み伏せたり、あるいは投げ飛ばし、投げ飛ばされる様々な形態、動きをよく観察してそれを表現するように教えていました。そのため、暁斎はどこかで取っ組み合いの喧嘩をしていないかと街中を探し歩いていました。また、神田川で拾った生首を写生して周りの人々を驚かせたこともありました。
9歳のころには、あまりにも自由すぎる歌川国芳からの悪影響を心配した暁斎の父親は、暁斎を狩野派の絵師である前村洞和(まえむら とうわ)に再入門させました。19歳には館林藩(秋元家)の絵師、坪山洞山の養子になりましたが、21歳になると女中を追い回してばかりとして、離縁されました。27歳(1858年)のころには、「惺々狂斎」と号し、浮世絵を描き、動物をユーモラスに描く戯画や人々の生活を描いた風刺画が人気を集めていました。
1881年の第2回内国勧業博覧会では、「枯木寒鴉図」を出品し褒賞を授与。1889年(57歳)で亡くなりました。
【略歴】
1831年 茨城県に古河市河鍋記右衛門ときよの次男として生まれる。
1832年 江戸へ移住。以後、江戸で活躍。
1833年 初めて蛙を描いた。
1837年 7歳の時、浮世絵師歌川国芳に入門。
1840年 狩野派の絵師前村洞和に再入門。
1848年 現存する暁斎最初期の肉筆作品「毘沙門天之図」(河鍋暁斎記念美術館蔵)を制作。
1849年 洞白より洞郁陳之(とういくのりゆき)の号を与えられる。
1857年 江戸琳派の絵師鈴木其一の次女お清と結婚。絵師として独立するとともに河鍋姓を継承。
1858年 狩野派を離れて「惺々狂斎」に改める。戯画・風刺画など浮世絵で人気を博す。
1863年 歌川派の絵師による合作「御上洛東海道」に参加。
1871年 以後、号を「暁斎」と改める。
1889年 胃癌のため逝去。享年57歳。
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