

作家名 | 川瀬巴水 |
---|---|
作品名 | 木版画「馬込の月 」昭和五年 ワタナベ版 |
買取品目 | 版画・リトグラフ |
買取方法 | 出張買取 |
ご依頼地域 | 愛知県刈谷市 |
買取参考価格
100,000円
※買い取り価格は当日の価格であり、その価格を保証するものではありませんので予め御了承下さい。
五宝堂スタッフより
【この作品について】
馬込の月 昭和5年(1930年)作
「東京ニ十景」という20図シリーズの1点
昭和5年、巴水は馬込町(現在の大田区南馬込)に洋館を新築して移住しました。
この一帯は江戸時代までは郊外の農村地帯でしたが、明治9年(1876年)に大森駅が開通したことから、別荘地としての開発が進み、多くの文士、芸術家が移り住み、「馬込文士村」とも呼ばれていました。
煌々と輝く満月を背景に、三本の松が美しいシルエットを形作っています。農家の窓からもれる灯りが、夜の帳が下りた田園風景に、人の温もりを添えてます。
ここに描かれた三本松は馬込のランドマークとして親しまれていた松の木で、昭和初期に失われてしまったが、現在も「三本松塚」や「三本松」バス停、「三本松交番」などにその名を留めています。
この絵は、巴水の作品の中でも「芝増上寺」に次ぐ人気を誇り、巴水の代表作の一点として知られています。
【川瀬 巴水(かわせ はすい)について】
明治16年(1883)〜昭和32年(1957)
幼少より絵に関心を寄せ、10代で青柳墨川、荒木寛友に日本画を学びますが、家業を継ぐべき長男であったことから本格的に画業に打ち込むことができませんでした。とりあえずは父親の家業を継ぎますが、画家になる夢を諦められなかった巴水は、「白馬会」で洋画を修めた後、「葵橋洋画研究所」での学習を経て、27歳で鏑木清方へ入門。そこで「巴水」の号を得ました。大正時代前半の巴水は、清方の弟子として雑誌の挿絵や口絵、広告図案などの仕事をし、「版」による制作に親しみました。その後、衰退した日本の浮世絵版画復興のため、版元である渡邊庄三郎と共に新しい浮世絵版画「新版画」を確立しました。
川瀬巴水は近代風景版画の第一人者であり、約40年にわたって日本各地を写生旅行し、旅先で写生した絵を原画とした木版画の風景画を600点以上制作しました。日本的な美しい風景を、叙情豊かに表現した作風から、「旅情詩人」「旅の版画家」「昭和の広重」などと称されます。アメリカの鑑定家、ロバート・ミューラーの紹介により欧米でも大変人気が高く、葛飾北斎や歌川広重と並び、その頭文字から「風景画の3H(Hokusai、Hiroshige、Hasui)」と呼ばれています。
【木版画(新版画)の査定ポイント】
木版画(新版画)の評価や買取査定では次のようなポイントが重要です。
・保存状態は良好か(ヤケやシミがないかどうか)
・作者の銘はあるか
・本人の作であるかどうか(証明書や鑑定書があるかどうか)
・人気の作品かどうか
これらによって、版画の評価や買取査定は大きく変わります。
川瀬巴水は新版画の中でも風景版画の代表絵師とされています。
作品によっては名所をモチーフとした版画もありますが、それらは訪れた場所の中から巴水がその風景を選び、共感し、感情移入して写生したものを版画化した作品であり、最初に場所ありきで制作された浮世絵版画の名所絵とは異なります。
後摺りの作品も多く流通し、平成に製作された作品は「わたなべ」という朱印が入っています。
現在、川瀬巴水の作品は日本での流通が大変少ない状況です。その理由の1つは、戦争や関東大震災で失われてしまった作品が少なくないこと。2つ目の理由は、多くの作品が海外に渡ったことです。最高の木版画技術で近代日本のオリエンタルな風景を描いたことで、欧米人の間でも好まれました。アメリカではセレブにもコレクターが多く、アップル創業者であるスティーブ・ジョブズも愛好家の一人として有名です。
五宝堂では肉筆画、木版画、新版画といった浮世絵作品や錦絵、春画まで幅広くお取り扱いしております。
状態の悪いものでもしっかり鑑定させていただきますので、是非お気軽にお問い合わせ下さい。