




作家名 | 沖縄三味線 |
---|---|
作品名 | 三線 |
買取品目 | 三味線 |
買取方法 | 出張買取 |
ご依頼地域 | 東京都豊島区東池袋 |
買取参考価格
5,000円
※買い取り価格は当日の価格であり、その価格を保証するものではありませんので予め御了承下さい。
お客様の声
今回、初めて利用させてもらいました。
多少の不安もありましたが、他社より高い値段を提示して頂けて、とても満足しています。
また、利用させていただきます。ありがとうございました。
五宝堂スタッフより
本日は、東京都豊島区東池袋へ出張買取。
お引越し前のお片付け整理でお呼びいただきました。
沖縄三味線 (三線)などの和楽器、壺屋焼 人間国宝 金城次郎の抱瓶など、多数ございましたので、1点1点丁寧に対応させて頂き、お客様にご満足いただける金額にてすべてお引き受け致しました。
【三線(さんしん)とは】
三線は沖縄がまだ琉球王国と呼ばれていた時代に、中国から伝わったとされています。
琉球王国の宮廷では三線が流行し、宮廷楽器として採用され大変親しまれました。
三味線に形が似ているので沖縄三味線と呼ばれることもありますが、三味線とは大きさも材質も、音も違います。
時代とともに何らかの形で三弦の構造が変化し、現在の三線の形になりました。
16世紀初め頃にはすでに宮廷儀式に使われていたという記録が残っているなど、
上流階級の間では早くから親しまれていたと言われています。
三線は琉球王朝時代の宮廷音楽として発展してきました。
しかし、三線に使用されている素材は高級なものであり、中でも蛇皮は中国から輸入しなければならなかったため、なかなか手に入るものではありませんでした。また、三線は書道、中国の古典などと同様に、琉球士族のたしなみとされるようになりました。
そして、中国や日本の大使をもてなすための宮廷行事に欠かせないものとなり、
同時に王朝付属の三線職人や舞台監督が任命されるようにもなりました。
日本本土にある三味線は、沖縄の三線が祖先であると言われています。
これまでは宮廷音楽であった三線ですが、明治時代の廃藩置県(琉球処分)以降には庶民の間でも普及し、親しまれるようになりました。それは、琉球王朝時代、宮廷で三線に携わっていた人々が古典芸能の技術を庶民に伝えたからです。
多くの人々に親しまれ、愛されてきた三線ですが、第二次世界大戦で沖縄は激戦地となり、この戦禍によって古くから伝わる多くの三線が焼失したと言われています。
この戦争で心身に大きな傷を負った沖縄の人々でしたが、終戦後は米軍の野戦用ベッドの木材やパラシュートの糸、コンビーフなどの空き缶を利用してカンカラ三線を作り、この音色が人々の悲しみを癒してくれました。
五宝堂では沖縄三味線 (三線)の査定を強化しております。三線だけではなく、尺八、篠笛、三味線、琴、琵琶などの和楽器やシルクスクリーン、リトグラフ、ブロンズ作品など、骨董品や美術品を幅広くご評価させていただきます。
経験と知識が豊富な査定士の確かな目利きで価値ある品を見極め、高く評価させていただきます。
作家が不明なお品や価値があるか分からないお品でも、査定は無料でございますので、まずはお気軽にお問い合わせください。スタッフ一同、心よりお待ち申し上げます。
本日は五宝堂をご指名いただき、誠にありがとうございました。
【金城次郎について】
金城次郎は1912年、沖縄の那覇市で生まれました。
13歳で陶芸家の新垣栄徳(あらかき えいとく 1891-1949)に師事し、陶芸家としての人生をスタートさせます。
新垣栄徳の工房で、民芸運動家で陶芸家の人間国宝・濱田庄司(はまだ しょうじ 1894-1978)に出会ったことから、「用の美(日常的な暮らしの日用品の中にある芸術性)」を求める作風が生まれたといいます。
その後、第2次世界大戦後に自身の工房を開くと、金城次郎は頭角を現し始めました。
1958年には金城次郎の作品「魚紋大皿」と「抱瓶」が、ルーマニア国立民芸博物館に永久保存となります。
1972年には沖縄県指定無形文化財技能保持者に認定され、1977年には現代の名工として表彰されます。
そして1985年、国の重要無形文化財「琉球陶器」の技能保持者として人間国宝に認定されました。
その後も金城次郎は2004年に亡くなるまで、沖縄県功労章や勲四等瑞宝章といった数々の名誉を受け取りました。