こんにちは。骨董品・古美術品買取店の五宝堂でございます。
本日は家屋解体前のお片付け整理のご依頼で、東京都杉並区へ出張してきました。歌舞伎絵、役者絵などの浮世絵を中心に拝見させていただき、お客様にご満足いただける金額にてお譲りいただきました。
本役者絵は「曽我物語」を題材とした「曽我物」と呼ばれる歌舞伎の一場面を描いています。
「曽我物語」は、一族の所領争いに巻き込まれ、「工藤祐経」(くどうすけつね)に父を殺された「曽我十郎」、「曽我五郎」の兄弟が、1193年(建久4年)5月に富士の裾野で開催された大規模な巻狩(まきがり:軍事訓練のために行う狩猟)において、父の仇を討つ物語です。
「市川團十郎」(いちかわだんじゅうろう)が演じる曽我五郎は、刀剣を振り上げ、「市川左団次」(いちかわさだんじ)が演じる「御所五郎丸」(ごしょのごろうまる)に斬りかかろうとしています。
【豊原国周 (とよはらくにちか】
(幕末から明治時代にかけて人気を博した浮世絵師です。
とりわけ役者絵を得意として高い評価を得る一方、子どもの頃から常識には当てはまらない性格で、生涯で妻を40人余りも変え、転居の回数も本人曰く117回。引越し好きで知られる「葛飾北斎」(かつしかほくさい)に勝ったと豪語し、さらに「宵越しの金は持たない」とばかりに散財したと伝えられるなど、浮世絵の腕前以上にそのユニークな言動が有名になりました。
天保6年<1835>-明治33年<1900> 江戸生まれ
号:一鶯斎、豊春楼、花(華)蝶楼、一桃、曹玄子、米翁など。
1846年頃より豊原周信に師事。1848年からは三代歌川豊国の門人となりましたが、周信への恩義からか歌川を名乗る事はしませんでした。”最後の役者絵師”と呼ばれ、役柄や役者の個性を捉えた役者絵を多く描きましたが、特に大首絵で名を上げ、一人の役者の半身を三枚続に描くという斬新な構図も創案しました。美人画にも優れ、「東京三十六会席」、「開花人情鏡」、「潤色三十六花撰」などの揃物で知られています。門人に楊洲周延、守川周重など。
五宝堂では肉筆画、木版画、新版画といった浮世絵作品や錦絵、春画まで幅広くお取り扱いしております。
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蔵の整理、遺品整理などの際には喜んでお伺いいたします。
本日は五宝堂をご指名いただき、誠にありがとうございました。