こんにちは。骨董品・美術品買取専門店の五宝堂でございます。
本日は浮世絵買取のご依頼で、埼玉県さいたま市に出張してきました。楊洲周延の版画作品を中心に拝見させていただき、お客様にご満足いただける金額にてお譲りいただきました。
【楊洲周延(ようしゅうちかのぶ)について】
狩野派に学んだ後、歌川国芳、三代歌川豊国、豊原国周の門人。
幕末・明治期の浮世絵師
生没:天保9年<1838> - 大正元年<1912>
号:楊洲、楊洲斎、一鶴斎
本名は「橋本直義」(はしもとなおよし)、通称は「作太郎」(さくたろう)です。画号として他に、「楊洲」(ようしゅう)、「楊洲斎」(ようしゅうさい)、「一鶴斎」(いっかくさい)、「2代目芳鶴」などが知られています。
楊洲周延は、明治8(1875)年頃より本格的に浮世絵師としての活動を開始し、大正元(1912)年9月に亡くなるまで絵を描き続けた浮世絵師です。描いた画題も、得意の美人画を筆頭に、役者絵、時事問題、歴史画など幅広く、名実ともに明治時代と共に生きた絵師でした。文明開化の東京にあって江戸風の浮世絵を描き続け、その作品は人々の江戸っ子魂をくすぐり続けました。
浮世絵師、摺師、彫師など浮世絵制作に関する技術は幕末期に頂点に達し、それらの技術は明治初期に「開化絵」という新たなジャンルで活用されました。
開化絵とは、文明開化に伴う変化をテーマとした浮世絵で、洋装・洋髪の日本人、洋風建築物や鉄橋などの洋風橋、汽車や馬車などの新しい乗物を描いています。それらの作品では鮮やかな赤の染料アニリンをよく用いたため、赤絵とも呼ばれました。
新しいジャンルの一時的な流行はありましたが、浮世絵産業は全体に衰退していきます。西洋から伝わった写真や印刷の技術の発展により、浮世絵とは異なるメディアが市場を席巻することになったのです。これに伴い、時代の変化についていけなかった浮世絵師の多くは筆を置くこととなりました。
楊洲周延はその中にあって活動を続けました。特に美人画・宮廷絵・歴史画などを積極的に手掛けます。文明開化時代の風俗も題材にしたため、資料的に価値がある作品も多く残されています。
五宝堂では肉筆画、木版画、新版画といった浮世絵作品や錦絵、春画まで幅広くお取り扱いしております。
状態の悪いものでもしっかり鑑定させていただきますので、是非お気軽にお問い合わせ下さい。
大量にあってもお任せ下さい。
蔵の整理、遺品整理などの際には喜んでお伺いいたします。
本日は五宝堂をご指名いただき、誠にありがとうございました。